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アゼ・ル・リド城フランス語: Château d'Azay-le-Rideau違う綴り:アゼ・ル・リド, シャトー・ダゼ・ル・リド キーワード:ルワール地方, 世界文化遺産, 城, 観光地 関係有る記事: トゥール 関連サイト: http://www.linternaute.com/sortir/chateaux-loire/7.shtml , http://www.loire-france.com/visites/chateaux/azay-le-rideau/ , http://www.casteland.com/pfr/chateau/centre/indreloire/azay/azay_hist.htm 説明:ルアール川の支流アンドル川の小島には11世紀に既に中世の城が在りましたが、フランス皇太子(後のシャルル七世)は馬鹿にされたのを激怒して1418年に城を焼き払います。その後フランス王の出納係りでトゥールの市長ジル・ベルトロは1518年からブルワ城を参考に新しい城を建て始めます。ジルは汚職の罪に問われて城に東翼を加えませんでしたが、中央階段はフランス・ルネッサンス風城郭の傑作です。 アヌシーフランス語: Annecy違う綴り:アンシー, アヌシー市 キーワード:アルプス, 町, 観光地 関連サイト: http://www.ville-annecy.fr , http://www.lac-annecy.com , http://www.annecy.org , http://www.france-pittoresque.com/histoire-departements/74-2b.htm 説明:スイスとイタリアの国境近く・アルプス前衛山脈の中に位置するアヌシーは最初ジュネーブと同じ郡に属していた。町はジュネーブ伯爵が12世紀にアヌシーに居宅を構えてから本格的に発達し始める。1404年にサボア公爵が購入の後1815年にはサルディニア王国の一部と成るも1860年にフランスに併合される。毎年8月にそれを祝う花火大会が開かれる。川が流出する湖の北岸に建てられたアヌシーはアルプスのベニスとも呼ばれ、人口は49500。 アビニョンフランス語: Avignon違う綴り:アビニョン市 キーワード:世界文化遺産, 南仏, 町, 観光地 関係有る記事: アビニョン教皇庁 , アビニョンの橋 , ニーム 関連サイト: http://www.ot-avignon.fr , http://www.avignon.fr , http://www.festival-avignon.com , http://www.avignon-tourisme.com 説明:フランス南部ローヌ川沿いに位置するアビニョンはオランジュ・アルル・ニーム等ローマ都市の傍らの小さな町でした。アビニョンは732年にサラセンに組した罪でシャルル・マルテルに又1226年にはカタル派の町としてルイ8世に破壊されるが、1309年には運が向き教皇庁の町に成る。1995年に世界文化遺産に登録されたアビニョンはボークリューズ県の県庁所在地で人口は86000人。毎夏アビニョン・フェスティバルが開催される。 アビニョンの橋フランス語: Pont d'Avignon , Pont Saint-Benézet違う綴り:サン・ブネゼ橋 キーワード:世界文化遺産, 南仏, 観光地 関係有る記事: アビニョン 関連サイト: http://www.avignon.fr/fr/culture/musees/pont.php , http://www.romanes.com/Avignon/SaintBenezet/ , http://www.avignon-et-provence.com/avignon/monuments/stBenezet/ 説明:アビニョンには既にローマ時代からローヌ川に架かる橋が有りましたが、これが壊れた後はリヨンから地中海まで橋が一つも無くなりました。この問題を解決するためサン・ブネゼは新しい橋を架ける為の義捐金を集めます。1185年に完成した22のアーチからなるこの橋の幅は4mで有名な民謡にもかかわらず輪になって踊れない。この橋は1226年のアルビジョワ異端討伐戦争でルイ8世によって壊されたが直ぐにサン・ニコラの礼拝堂がデッキの上に付いた橋に替えられた。 アビニョン教皇庁フランス語: Palais des papes , Palais des papes d'Avignon違う綴り:法王宮殿, アビニョン宮殿, アビニョン法王宮殿, 教皇庁宮殿 キーワード:城, 観光地, 世界文化遺産, 南仏 関係有る記事: アビニョン 関連サイト: http://www.palais-des-papes.com , http://www.avignon.fr/fr/culture/musees/palais.php 説明:イタリア人との抗争を避けるために法王クレメン5世は1309年に法王庁をアビニョンに移した。次の法王ジャン12世は自分の司教職住居を法王庁に改築。かってシステリアン修道僧だった3代法王ブヌワ12世は重厚な宮殿(古宮殿)を建てる。恒久的に此処に居ると思った次の法王クレメン6世はさらに繊細な建物(新宮殿)を加えた。最後の法王グレグワール11世は1377年にローマに帰還するもアビニョンは独自の法王を選び教会大分裂の時代となる。 アミアン大聖堂フランス語: Cathédrale d'Amiens , Cathédrale Notre-Dame d'Amiens違う綴り:アミヤン大聖堂, ノートルダム・ダミアン キーワード:世界文化遺産, 教会, 観光地 関連サイト: http://www.learn.columbia.edu/Amiens.html , http://www.amiens.fr , http://www.u-picardie.fr/~patrick/Cathedrale/visite.html 説明:1218年に古いローマン風の聖堂が焼失したのでアミアン司教リシャール・ドゥ・ジェルブルワはサン・ジャン・バティストの遺骸を納める新しいゴシック・スタイルの大聖堂建立を希望。1220年から1264年にかけて建てられたアミアン大聖堂は体積200,000 m3、ネーブの高さ42mのフランス最大の大聖堂です。1849年に建築家ビオレ・ル・デュックによって復元され第二次大戦を生き残ったアミアン大聖堂はその均一な外観と豊に飾られた正面入り口によって1981年に世界文化遺産に組み込まれる。 アルル闘技場フランス語: Arènes d'Arles , Amphithéâtre d'Arles違う綴り:アルル円形劇場, アルル キーワード:ローマ遺跡, 世界文化遺産, 劇場, 南仏, 観光地 関連サイト: http://www.arenes-arles.com , http://www.memo.fr/LieuAVisiter.asp?ID=VIS_FRA_ARL_003 説明:紀元前46年ローマの植民地都市アルルの建設と同時に造られたアルルの競技場は古代ローマの中でも最大の部に属します(136x107m)。巧妙な回廊と階段の組み合わせで21000人が同時に観劇出来ました。中世には何百人もの住民に不法占拠され19世紀になってやっと撤去された。現在ではコンサートや闘牛(トロマシ)が催される。1981にはアルル古代建築全てがUNESCOの世界文化遺産に指定された。 アンジェフランス語: Angersキーワード:町, 観光地, 世界文化遺産, ルワール地方 関連サイト: http://www.angers.fr , http://www.angers-tourisme.com 説明:メーヌ川岸、ルワール川との合流点付近に位置するアンジェはケルト人部族アンデスが建設。アンジュ伯爵ジョフレ五世とイギリス女王マルチダが1127年に結婚するとその息子エンリー二世がプランタジネット朝を開祖。アンジェは1204にフランス国王フィリップ二世が征服するが15世紀までフランスとイギリスが争い続ける。アンジェはメネ・ルワール県の県庁所在地で人口は151,000人。主な産業は電子工業とぶどう酒醸造。 アンドゥリ城フランス語: Château Gaillard違う綴り:アンドゥリ砦, アンドリ城, ガイヤー城, ガイヤール城 キーワード:城, 観光地, ノルマンディー 関連サイト: http://www.ville-andelys.fr , http://remi.placier.free.fr 説明:パリの北西100kmに位置するアンドゥリ城は1198年に英国王でノルマンディー公の獅子心王リチャードによって、フランス王フィリップ・オーギュストから領地を守るためセーヌ川を見晴らす要害の地に建てられた。1199年のリチャードの死後1204年にフィリップはアンドゥリ城を占領。城は400年後のアンリー四世の時代に壊された。 アンバリッドフランス語: Les Invalides , Hôtel des Invalides , Musée de l'Armée違う綴り:アンヴァリッド, ナポレオンの墓, オテル・デ・ザンヴァリッド, 廃兵院, 軍事博物館 キーワード:パリ, 教会, 美術館, 観光地 関連サイト: http://www.invalides.org , http://www.paris-tourism.com/hotels/fr/object.php?idContent=33 , http://www.paris.org/Musees/Invalides/ 説明:負傷兵の将来を心配したフランス国王ルイ14世は1670年建築家リベラル・ブリュアンの設計で彼らのホスピスを建てることを決めた。1676年にホスピスの完成後、黄金のドームで有名なロイヤル・チャペルが1706年に加えられた。1821年にセント・ヘレナ島で死んだナポレオン・ボナパルトの遺灰は1861年にアンバリッドに安置された。軍のパレードに使われた広大なエスプラナード・デ・ザンアンバリッドがそこからセーヌ川まで伸びている。ホスピスの北西部は今では軍事博物館に成っている。 | |
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